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空海と最澄の確執
この確執は、遣唐使の時代まで遡らなあかん。

当時、既に朝廷にまで認められてた7つ年上の最澄と、天才とはいえ、まだ駆け出しの空海。

この2人が遣唐使船に乗るんやけど、最澄は国費留学に対して、空海は私費留学。

1年で最澄は天台宗をマスターして帰国しようとするんやけど、船の準備が出来てへんからって待たされることになる。

この期間で、最澄はチョロっと「密教」をかじるんやけど、このかじったのが後々の確執につながるねんな。

準備が整って帰国して、桓武天皇に報告するんやけど、桓武天皇は天台宗より密教に興味を持つ。

平城京から長岡京、平安京って遷都を繰り返してるのを見ても分かるように、「呪い」に敏感な人やった。

しかも、身内を殺して、病気がちとくりゃ…

護摩、祈祷に興味を持つのは当然の流れ。

護摩、祈祷といえば密教。それで密教に興味を持つ。

この1年後に空海が密教をマスターして帰ってくる。

で、時代の要請もあって空海がとんとん拍子に出世する。

最澄も密教の必要性を感じて、年下のしかも駆け出しの空海に弟子入りする。

この辺は、最澄の器のデカさを感じるんやけど、器がデカいっちゅうよりは、悪く言うと無神経で貪欲、良く言うと真面目で勉強熱心ってことやな。

空海も最澄に「弟子入りさせてくれ」言われりゃ断るわけにもいかず、これが元で確執に発展するんやな。

無神経で勉強熱心な最澄。

相手の都合も関係なく、とにかく勉強熱心。

「あの教典を貸してくれ」
「この教典を貸してくれ」
「これを教えてくれ」
「あれを教えてくれ」

……

年上のエライ人にこうもズカズカこられると、ストレス溜まるわな(笑)

さすがにうっとうしくなった空海は、教典を貸すのもやめて最澄に会わんようになる。

それでも諦めん最澄。

今度は、自分の愛弟子泰範を高野山に送り込む。

自分の後継者にしようと思ってた泰範を送り込んだ最澄。

けど、この泰範が空海に寝返るんやな。

これで、空海と最澄の確執が決定的になると。

歴史に残るエライ坊さんでも、所詮人の子ってことやな。

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