混乱した気持ちのままで立った裁判の証言台

できることなら自分の手で長谷川君を殴りつけ、思い切り罵りたいと思っていました。それが人情というものではないでしょうか。けれども警察に捕まった後は、加害者は被害者の手の届かないところにいます。たったひとつ、自分の気持ちを出せる場所として、僕は一審の時に証言台に立ちました。「どんな処分をしてもらいたいですか」と検察官に聞かれ、「極刑以外には考えられません」と答えました。実際、当時の僕は「殺してやりたいほど憎い」と思っていました。検察官は僕がそう答えるのを予想したうえで尋問したのだと思います。

今だから言えることですが、僕は感情に左右されていました。それまで死刑制度のことなんて考えたこともなかったし、裁判の仕組みも知らなかった。まして自分が殺人事件に巻き込まれるなんて夢にも思ってなかったのです。

加害者「長谷川君」は、逮捕された後も共犯者や金を借りた相手への恨みつらみで凝り固まっていた。しかし裁判の途中で弁護士の影響から洗礼を受け、キリスト信者となる。そして自分の罪を真正面から受け止め、心から悔い、原田さんに謝罪の手紙を送ってくるようになった。裁判は進み、事件から1年7ヵ月後の'85年、一審において死刑判決が下った。

一方、原田さんは社会からひとり押し出されたような孤独感のなかで、「長谷川君」への憎しみを燃やし続けていた。送られてくる手紙は開封もせずに捨てていた。ところがある時、ふと好奇心がわいて読んだのをきっかけに目を通し始め、時には返事も書くように。そして事件から10年が過ぎた'93年、たった一人で「長谷川君」に面会に行く。憎しみや怒りが薄れたわけではない。むしろ持って行き場のない憎しみや怒りを直接ぶつけたい気持ちが強かった。しかし面会に来てくれたことを素直に喜ぶ「長谷川君」の表情に、フッと肩の力が抜けたという。

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