◆ 「いじめと書くな」教諭指導

虐めをなくそうとするから、こういうバカがわいてきよるねんな。

同小によると、女性教諭は、アンケート記入に先だって、担当のクラス全員に「いじめは一方的なもの。みんながしているからかいなどはケンカ。いじめと書くと多くなるので書かないように」と指導したという。

また、女子児童の一人が、今年4月に同級生に鉛筆で腕を刺されたとして、「いじめあり」の欄に丸印をつけていたが、女性教諭はアンケート回収後に女子児童を呼び出し、いじめにあたらないなどと説明。ペンで「いじめではない」に丸印をつけ、本人が納得済みである旨も加筆したという。


子供が虐めやって言うとるんやから、それは虐めでええやろ。

「虐めがある」っちゅうと自分の評価に響くから、こういう訳の分からん事をする。

「虐めをなくす」って考えるんやなくて、「虐めをどう解決するか」って考えん限り虐めでの不幸はなくならんやろな。

虐めなんかなくなるわけがないねん。

自然現象なんやから。

ニュースになるような酷い事例は「虐め」やなくて「犯罪」。

ここまで行くまでに小さい虐めがあるわけで、これは成長過程で必ず起きる。

ニュアンス的には「虐め」より「いじり」の方が近いんやろうけど、そういうのは、やってる方も、ひょっとしたらやられてる方も気づいてないかもしれん。

これがエスカレートして、「虐め」になるわけで、虐めの芽っちゅうのは必ず起きるねん。

それをいち早く見つけて、どう解決するかが問題やのに、虐めをなくそうとするから、それに気づかんし、気づいても隠そうとする。

そろそろ、「虐めは必ず起きるもの」として捉えて欲しいもんですな。

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いじめの構造


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