◆ 「小3から英語」中教審に諮問


高校日本史必修化はええんやけど、英語ってそんなに大事かね。

諮問によると、国際的な人材育成に向け、英語に親しむ「外国語活動」を小学3年から始め、5年から正式教科にする。「読む、書く、聞く、話す」の4技能育成が重要とし、「身近なことで気持ちを伝える」(小学校高学年)、「英語による授業を基本に、身近な話題で互いの考えを伝え合う」(中学校)、「幅広い話題で発表や討論」(高校)などの達成目標を設ける。

日本人の何%が「国際的な人材」になるんやろな。

そもそも「言語」ってのは、コミュニケーションのツールなんやから、母国語もろくに話せんのに英語を覚えても意味ないがな。

「日本語の乱れ」とかって問題にしとるくせに、何で「国語」に力を入れんの?

だいたい、よそが英語に力を入れてるのは、植民地やったってのもあるけど、母国語で高等教育が受けられへんからやん。

「経済」って漢字を福沢諭吉が考えて、「野球」って漢字を正岡子規が考えたように、「物理用語」にしろ「化学用語」にしろ、現代科学に関する「漢字」は全て明治以降の日本人が考えた「漢字」。

先人が「英語」を日本人が分かるように翻訳したり、造語してくれたおかげで、日本人は日本語で高等教育が受けられるようになった。

実際、その手の「漢字」は中国に逆輸入してる。

ここがアジアで日本人だけがノーベル賞を取れる一番大きな理由やと個人的には思ってる。

よそは、どうしても英語を理解せんと、高等教育を学ぶ事ができん。

だから、英語が必要で、必然的に英語教育に力を入れなあかん状況になってるだけ。

まぁ、日本でも学者レベルになると、英語が理解できんと分かりにくいのも出てくるけど、一般レベルやったら日本語の文献で十分。

まずは、「日本語力」を上げる事の方が重要とちゃうか?

「コンプライアンス」だの何だの経済用語で横文字が増えてるのも、日本語で理解しようとせんからやん。

それだけ、日本が遅れてる証でもあるねんで。

だから、これだけの経済大国やのにノーベル経済学賞取れんやん。

英語教育に力を入れるって事は、そういう風にカタカナで話す事が増えるって事やし、英語圏の人間に遅れを取るって事なわけで、ほんまにそれでええの?

まぁ、それでも「言葉」はツールでしかないんで、意味が分かりゃそれはそれでええんやけど、そういう風になってもうたら、もう英語圏の人間には勝てんようになるで。

ほんまにそれでええの?

英語教育に力を入れるのは結構な事なんやけど、「若者の日本語の乱れてる」っちゅうて問題にするくせに、国語教育の充実って話は議論にすらならん。

英語教育に力を入れるなら、国語教育もそれ以上に力を入れるべきやと思うんやけど…

ちゅうか、翻訳するには、英語力よりも日本語力の方が重要やねんで。

何で、こうも「英語、英語」って言うんか理解に苦しむわ。

「英語教育の充実」って聞くと聞こえはええんやけど、先人が英語を日本語に置き換えて、世界と渡り合える国にしたのに、そういう「知恵」や「苦労」が失われそうで恐い。

「国際的な人材」とやらは、明治の人達がやったように、英語から日本語を生み出すような人の事とちゃうんかね?

英語で学んだ事を広く日本に還元する。

そういう事ができる人が「国際的な人材」やと思うんやけどなぁ。

「国際的」ってのは、別に英語が喋れるって事とちゃうやろ。

何にしても、「英語、英語」って言うなら、まず「日本語」をもう一度見つめ直して欲しいもんです。


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