光母子殺害・判決要旨
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▼(3)被害者に対する殺害行為について

(ア)被告人は当審公判で、被害者の頚部(けいぶ)を両手で絞めつけたことはない旨述べ、仰向けの被害者の上にうつぶせになり、同女の右胸に自分の右ほおをつけ、同女の右腕を自分の左手で押さえ、自分の頭より上に伸ばした右手で同女の身体を押さえ、右半身に体重がかかるようにして両足で踏ん張っていたところ、同女は徐々に力がなくなっていき動かなくなった、見ると、自分の右手が被害者の首を押さえており、右手の人さし指から小指までの4本の指と手の甲が見えるが親指は見えず、指先は左側を向いていた旨供述している。この供述によると、被告人は逆手にした右手だけで被害者の頚部を圧迫して死亡させたということになる。

(イ)しかし、この点に関する被告人の当審公判供述は被害者の遺体所見と整合せず、不自然な点がある上、旧供述を翻して以降の被告人の供述に変遷がみられるなど、到底信用できない。

(あ)被害者の右前頚部(以下、被害者の身体の部位や動きに関する左右の向きは被害者を基準とし、頭側を上、足側を下と表す)および右側頚部全般は多数の溢血(いっけつ)点を伴って高度に鬱血(うっけつ)しており、その内部と周辺には4条の蒼白(そうはく)帯が認められる(以下、この4条の蒼白帯を上から順に「蒼白帯A」ないし「蒼白帯D」という)。被害者の前頚正中部に米粒大以下の多数の皮内出血(皮内出血A)、その左方に表皮剥脱(表皮剥脱B)、その下方に表皮剥脱(表皮剥脱C)、さらに左側頚上部に表皮剥脚(表皮剥奪D)が認められる。

(い)大野曜吉医師および上野正彦医師は、被告人の旧供述は被害者の遺体所見と矛盾し、新供述は被害者の遺体所見と一致している旨判断している。

しかし、被告人の新供述によると、4条の蒼白帯は上(被害者のあごの側)から下(被害者の胸側)に向かって順に右手の小指ないし人さし指によってそれぞれ形成され、前頚正中部の左方にある表皮剥脱Bは、右手親指によって形成されたものと考えるのが最も自然である。そして、証拠によれば、4条の蒼白帯は、ほぼ水平またはやや右上向きであり、親指に対応する表皮剥脱Bは、中指に対応する蒼白帯Cよりも上に位置していると認めるのが相当である。そして被害者は窒息死したのであるから、ある程度の時間継続して相当強い力で頚部を圧迫されたことは明らかであるところ、被告人が被害者の右前頚部から右側頚部にかけて、右手の人さし指ないし小指の4本の指をほぼ水平または被告人から見てやや左上向きの状態にして、しかも親指が中指よりも上の位置にくるような状態で、右逆手で被害者の頚部を圧迫した場合、かなり不自然な体勢となり、そのような体勢で人を窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であると考えられる。

大野意見によれば、被告人が右手の親指を内側に曲げて右逆手で被害者の頚部を押さえると、親指のつめの表面がちょうど表皮剥脱BとCに位置するというのである。しかし、そのような体勢で被害者の頚部を圧迫した場合、被告人の右親指にも圧力が加わり、被告人自身が痛みを感じることになるため、窒息死させるほどの強い力で圧迫し続けることができるのか、いささか疑問であること、被告人の右手のひらは、間に右親指が挟まって被害者の頚部とほとんど接触しないため、被告人の人さし指に対応する蒼白帯Dの長さが11センチにも達することになるとは考えにくいことなどに照らすと、大野意見は採用できない。

また仮に、表皮剥脱Bが右手親指によって形成されたものでなかったとしても、蒼白帯Dは下頚部に弧状をなしているところ、証拠によれば、その弧の向きは下に凸であるとみるのが合理的である。そうすると、被告人が右手を逆手にして、被害者の頚部を圧迫した場合、蒼白帯Dの弧の向きが下に凸になるとは考えにくく、これが下に凸になるようにしようとすれば、相当に不自然な体勢を強いられることになるのであって、被害者の遺体所見と整合しないというべきである。

(う)被告人は当審公判で、被害者の背後から抱きついて以降、同女が死亡していることに気付くまでの経過について、被害者と被告人のそれぞれの動きだけでなく、そのとき室内に置かれていたストーブの上にあったやかんやストーブガードの動きまでも含めて、極めて詳細に供述している。しかも被害者の頚部を圧迫した行為については、被告人の左手、足、視線の向き、体重のかけ方などを具体的に供述しているにもかかわらず、頚部を圧迫していたと思われる右手に関しては感触すら覚えていないなどとして、あいまいな供述に終始しており、まことに不自然である。被告人が右手で被害者の頚部を押さえつけたとすれば、自分の手が被害者のあごの下や頚部に当たっていることは、その感触から当然に分かるはずである。特に新供述のような体勢で被害者の頚部を押さえつけたとすれば、床方向に向けて右手に力を加えることは困難であり、窒息死させるほどの力を加えるのであれば、自然と被害者のあごを下から頭部方向に押すようにして右手に力を加えることになると考えられるから、自分の右手が被害者の身体のどの部位に当たっているのか分からないということはあり得ない。

また被告人が新供述のような態様で被害者を押さえつけて頚部を圧迫していたとすれば、同女は左手を動かすことができたと考えられるから、当然、その左手を用いて懸命に抵抗したはずである。被告人の供述する両者の位置関係からすれば、被害者は容易に被告人の頭部を攻撃することができたのであるから、左手で頭部を殴るなり頭髪をつかんで引っ張るなりして、抵抗するはずであるにもかかわらず、被告人が頚部を圧迫している間の被害者の動きについて、極めてあいまいにしか供述していないのも、まことに不自然である。

そもそも、被告人の新供述のような態様で被害者の頚部を圧迫した場合、被害者が激しく抵抗すれば、窒息死させるまで頚部を押さえ続けることは困難であると考えられる。そのような態様での殺害は、被害者が全く抵抗しないか、抵抗したとしても、それが極めて弱い場合でなければ不可能であるというべきである。そうすると、被告人は被害者に実母を見ていたといっており、実母と同視していた被害者に対し、さしたる抵抗も攻撃も受けていないのに、窒息死させるほどの力で頚部を圧迫したということになるが、これもまた極めて不自然な行動であるというほかない。

(え)被告人の新供述は右逆手による被害者の殺害状況について合理的な理由なく変遷しており、不自然である。すなわち、被告人作成の上申書(平成18年6月15日付)には、被害者が大声を上げ続けたため、その口をふさごうとして右手を逆手にして口を押さえたところ、同女がいつの間にか動かなくなっていた旨記載され、被告人は平成18年12月から平成19年4月にかけて実施された加藤幸雄教授との面接においても、被害者が大声を上げたので右手でその口を押さえた旨供述していたことがうかがわれる。ところが、被告人は当審公判では、被害者が声を出したかどうか分からない状態にあった、右手の感触は覚えておらず、どこを押さえていたか分からない、などと供述している。

このような供述の変遷が生じた理由について、被告人が当審公判でする説明は、到底納得のいく説明とはいい難い。

(4)へ続く
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