同居する長女(33)の遺体を大阪府寝屋川市の自宅に放置したとして両親が死体遺棄の疑いで逮捕された事件で、大阪府警は25日、死亡した柿元愛里さんは体重が約19キロで極端に痩せていたと明らかにした。身長は149センチだった。司法解剖の結果、死因は栄養失調状態で寒い環境に置かれた凍死と判明。愛里さんは十数年間、2畳の部屋に監禁されていたとみられ、府警は殺人容疑などを視野に生活実態を詳しく調べる。
捜査1課によると、父親の柿元泰孝(55)、母親の由加里(53)の両容疑者は、愛里さんが16~17歳ごろに精神疾患を患ったと説明。暴れるなどしたため、二重扉で内側からは開けられない部屋で生活させていたという。最近の食事は1日1食で、水分は、部屋の外から引き入れられたチューブを通じて補給していた。
府警はこうした生活の末に愛里さんが衰弱して死亡したとみて両親を追及する。
私宅監置(したくかんち)とは、日本にかつて存在した精神障害者(当時は精神病者と呼んだ)に対する制度で、自宅の一室や物置小屋の一角などに専用の部屋を作り精神障害者を「監置」することである。1950年の精神衛生法施行にて禁止された。 概要
明治時代~昭和時代中期頃までの精神医療は精神障害者を精神科病院に収容することを目標のひとつとしていたが、1900年(明治33年)精神病者監護法制定当時は精神科病院や精神科病棟は不足していた。病院に収容しきれない精神障害者への苦肉の策として私宅内に専用の部屋を設けて、そこに閉じ込め、行政(警察)が管理するという、諸外国にも類例をみない極めて異質な制度だった。中程度の資産を持つ家の多くがこの制度を利用した。 監置とは
監禁、保護のどちらでもなくその中間を意味していた。精神科病院に入院することも、医療現場ではない精神病者収容施設に収容されることも私宅にて専用の部屋に閉じ込められることもすべてが「監置」と呼ばれていた。 モデルとなった制度
制度的・思想的からいって必ずしも同等のものとはいえないが、この制度のモデルは江戸時代にすでにあったとされている。乱心者を閉じ込める座敷牢や指籠(さしこ)、囲補理があった。ただし一般的にいわれているような乱心者を勝手に縛ったり、軟禁(監禁の軽いもの)したりすることはなかった。例えば江戸の場合、「檻入(かんにゅう)」という制度があり、家族、家主、五人組などが連署した檻入手形、乱心の確認書、医師の口上書を提出する必要があった。