明治34年(1901年)、海軍鎮守府の長官として、舞鶴に赴任した東郷平八郎は、イギリス留学中に食べたビーフシチューを作るよう料理長に命令。しかし、当時は赤ワインやバターなど手に入らない調味料もあったため、料理長は、しょうゆと砂糖、ごま油を使って味付け。そうして出来上がったのが「肉じゃが」、というのが舞鶴では定説なんだそうです。
「今から23年前に、舞鶴の元海軍、今の海上自衛隊の図書館から『海軍時代の料理の教科書』が出てきたんです。」
こう話すのは、「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の会長・伊庭節子さん(69)。
1995年、舞鶴にある海上自衛隊第4術科学校の図書館に、海軍時代の肉じゃがのレシピが書かれた教科書があるのを知った伊庭さん。この1冊以外に、どこからも見つかっていないことから、『舞鶴が発祥の地』と高らかに宣言しました。
(中略)
本当に呉は、舞鶴に“便乗”したのでしょうか?舞鶴と同じく、海軍にゆかりのある港町の広島県呉市。地元の人たちの「肉じゃが」に対する認識は…
「Q.呉が発祥の地なんですか?」
「そうだと思います。」(呉市民)
「らしいですね。きのうも肉じゃがして食べました。」(呉市民)
こちらも、当たり前のように「我が街が発祥の地」だと思っているようです。さらに聞いてみると…
「東郷さんがビーフシチューを作るのに…」(呉市民)
出ました、東郷平八郎!舞鶴と同じエピソードが、ここ呉からも。
では、呉の「肉じゃが」はどんな味なんでしょう?呉市内のホテルで作ってもらいました。
「おぉ、ジャガイモが大きい。少し薄味です、あっさり。」(山下記者)
舞鶴と比べて、呉の肉じゃがはジャガイモが大きく、にんじんとグリンピースが入っていません。見た目も味も、大きく違う呉と舞鶴の「肉じゃが」。取材班は、舞鶴の伊庭会長の“ライバル”に接触。ズバリ、聞きました。
「Q.呉が後から乗っかってきたと、舞鶴の伊庭さんが言っていましたが?」(山下記者)
「それはあちらの表現で、私は乗っかったのでははくて、『本来は私たち(呉)だから』というので、これはどうしてもPRしようと。たまたま時期が遅れただけかな、と思ってますね。」(「くれ肉じゃがの会」広報部長・佐野勉さん)
呉側は、「“東郷平八郎が最初に肉じゃがを作らせた”と言うなら、舞鶴より先に赴任していた呉が発祥の地だろう!」と主張。さらに、舞鶴側が根拠とするレシピが書かれた教科書についても…
「あれは教科書ですから。すべての艦船で教科書はあります。呉はすごい空襲を受けて、ほとんどの艦船が沈められた。大空襲があったから、たまたま残っていないんですよ、残念ながら。」(佐野さん)
「Q.呉が肉じゃが発祥の地、というのは間違いない?」(山下記者)
「もうこれは完璧に自信がありますね。」(佐野さん)
舞鶴側の主張に真っ向から反論。これに対し、舞鶴側は…
「Q.呉の佐野さんに伺うと、やっぱり呉が先だと?」
「またそんなあほなこと言うて…厚かましいですね(笑)。」(「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」会長・伊庭節子さん)
両者、1歩も譲りません。