◆ 袴田事件 高裁は再審認めず

「DNA鑑定の有用性」も何も、そもそも証拠が捏造されたもんやし、自供の強要も凄まじいもんやったんやから、再審するべきやと思うけど。

間違いを認めたくない役人らしいけど、仮に袴田巌が犯人やったとしても、色々と問題があるんで、その点も含めて一からやり直すべきなんとちゃう?

1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑が確定し、静岡地裁の再審開始決定を受けて釈放された袴田巌(はかまだいわお)元被告(82)について、東京高裁は11日、再審開始を取り消す決定をした。

大島隆明裁判長は「地裁が再審開始の根拠としたDNA型鑑定の有用性には深刻な疑問がある」とした。一方、袴田元被告の刑の執行停止と釈放を命じた地裁の決定は取り消さなかったため、元被告が現段階で拘置所に収容されることはない。

元被告側は、高裁決定を不服として最高裁に特別抗告する。

元被告は地裁決定を受け、2014年3月に東京拘置所から釈放されていた。今後、最高裁が高裁の判断を認めるなどして高裁決定が確定すれば、元被告は再び収容されることになる。

確定判決によると、事件から1年2か月後、犯人が犯行時に着ていた5点の衣類が現場近くのみそ工場のタンク内から見つかった。そのうち半袖Tシャツには犯行時にけがをした犯人と被害者のものとみられる血痕があり、判決は、犯人と元被告の血液型が同じB型だったことなどを指摘した。

元被告側が08年4月に裁判のやり直しを求めた静岡地裁の第2次再審請求審では、弁護側推薦の本田克也・筑波大教授が5点の衣類について血痕のDNA型鑑定を行い、半袖Tシャツの血痕から検出されたDNA型が「元被告と一致しない」とする結果が出された。地裁はこの鑑定結果を根拠に「最重要証拠だった5点の衣類が元被告のものでも犯行時の着衣でもない可能性が十分にある」と判断。再審開始を決定し、裁判のやり直しを命じた。

この決定に対し、検察側は「本田教授の鑑定は独自の方法で行われており、科学的に信用できない」として東京高裁に即時抗告。検察側推薦の鈴木広一・大阪医科大教授による検証実験が行われ、「本田教授の鑑定方法では適正な鑑定結果が得られない」とする報告書が提出されていた。


映像ニュースはコチラ↓
「袴田事件」高裁が再審開始を認めない決定

決め手になった本田教授のDNA鑑定に再現性がないって事で、「科学的に信用できない」って事になって、再審を認めないってのは、再審を決めるルールから見たら正しいんやろうけど、地裁が再審決定した2014年3月にも取り上げたけど…

袴田事件「正義」で異例釈放

色々と酷すぎるねんな。

特に酷いのが…

袴田事件

取調べ・拷問

袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。

これらの違法行為については次々と冤罪を作り上げた事で知られる紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。


証拠が捏造したもんやのに、その証拠を裏付ける為に、こんな事をして自供させたんやで。

こんなのに証拠能力なんかないがな。

どう考えても、一からやり直すべきやろ。

まぁ、一からやり直したところで、50年以上経ってるから新たな証拠が見つかる事もないやろうから、裁判もできんのかもしれんけど。

ちゅうか、司法としては袴田巌が無罪やと色々困るんやろな。

熊本典道

熊本 典道(くまもと のりみち、1938年10月30日[1] - )は、日本の元裁判官、元弁護士。

2007年、合議の秘密を破り、袴田事件の支援者に宛てて「事件は無罪であるとの確証を得ていたが裁判長の反対で死刑判決を書かざるを得なかった」という内容の手紙を書き、その後改めて記者会見を開き同様の趣旨の発言をした。

人物

もともと令状請求や勾留請求の却下が多い裁判官として知られていた。1968年、袴田事件の一審の合議では3人の裁判官の中で唯一無罪を主張するものの、裁判長を含む他の2人の裁判官の反対により、被告人に死刑判決を宣告する。この判決を悔やんで半年後に弁護士へ転身し、東京の法律事務所のパートナーとなったが、「俺は無実の人を殺した。逮捕しろ」と夜中に警察署で暴れるなど酒の上でのトラブルが絶えず、大学で刑事訴訟法の非常勤講師などを務めながら暮らすこととなる。

大酒が原因で体を壊して離婚し、1991年に九州へ移住。肝硬変で入院したが、病室でも酒を飲んでいる有様だった。1996年に弁護士登録を抹消。このころの生活については、自ら「弁護士らの知人から借金して食いつないでいた。ホームレスのようなもの」と語っている。

2008年には前立腺癌と診断され、2010年には福岡市で生活保護を受けながら細々と暮らしていることが報じられた。


唯一「無罪」を支持した裁判官はこんな事になってるし。

被害者側も、再審が決まった時にも取り上げたけど、「袴田事件」の唯一の生き残りやった長女は…

唯一生き残りの長女、自宅で死去 袴田さん釈放の一家殺害

静岡県清水市(現静岡市清水区)で1966年、みそ製造会社専務の橋本藤雄さん(当時41)一家4人が殺害された事件で、唯一助かった長女の昌子さんが清水区の自宅で死去していたことが29日、関係者への取材で分かった。


再審決定の翌日に亡くなってるし。

この長女が真犯人って説もあったけど、再審しても真実を解明するのは不可能に近いやろな。

ただ、死刑が確定してるんで、最高裁で再審が認められんと、再収監して死刑執行する事になる。

こんなあやふやなままで、死刑にするのはどうにもおかしいんで、真実を解明できんでも、再審はやるべきやと思います。




ぶんぐのぶろぐ


詳細記事&コメント投稿


袴田事件を裁いた男 無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元判事の転落と再生の四十六年


前の記事

次の記事

TOPに戻る

■ メルマガ購読・解除 ■
ぶんぐ瓦版



Amazon.co.jpロゴ
モッピー | お金がたまるポイントサイト

ぶんぐ占い
ぶんぐのぶろぐ
ぶんぐ瓦版登録
ぶんぐ瓦版TOP