「七日間」
神様お願い
この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう
神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ
容子さんは、元は高校の国語の先生で、結婚・出産を機に教壇を離れてからも受験出版社で模擬試験の採点をするなど、文章に関わる仕事をしてきました。言葉で表現するのは習いになっています。
闘病生活が半年を過ぎた頃、パソコンに「二人の物語」と題した文を綴り始めました。「出会い」と見出しを付けた書き出しは「あなたと初めて出会った日のことを覚えていますか」。
大学1年生の冬の思い出から始めた独白を、途中で英司さんに読ませると、夫は書き足しました。
「もちろん鮮明に覚えています。キミは緑色のコートを着ていました」
こうして始まった2人の「交換日記」は、18歳の英司さんが同級生の容子さんに講義のノートを借りようと声をかけた場面から、次第にお互いの存在が大きくなっていった若い頃の記憶をたどります。
学生時代は「どこに行くにも一緒でした」(英司さん)、それが社会人になると「会うこともままならない日々が続きました」(容子さん)。周囲に背中を押され、25歳で結婚。
容子さんは新居の思い出を書きます。
「通りから二軒中に入った、木造アパートの鈴木荘」
「近くのお風呂やに行き、神田川の世界のように、入り口で待ち合わせて、帰ったりしましたね」
「どう気持ちの整理をつけたらいいんだろう」
妊娠出産に続いて引っ越しがあり、英司さんの転勤と単身赴任、育児と進学……そして子離れの時を迎えます。
容子さんは趣味でパッチワークやちりめん細工を始め、それを見ていた英司さんも木彫りや陶芸などに挑戦しました。
「あなたの作った器に盛る料理を考えるときは、幸せ気分で台所に立っているし」
「クラフトに夢中になっているあなたの姿は、とても穏やかで、素敵です」
交換日記にそう書いた妻の文章を読み返し、英司さんは「容子に褒めてもらいたくてやってきたようなものだから」と振り返ります。
口元に柔らかな笑みを浮かべながら話す英司さんですが、時々言葉を詰まらせます。「容子の思い出を胸に前を向いて、と皆が言ってくれますが、そこにはたどりつけていなくて……」。
(中略)
妻が亡くなって2カ月半。単身赴任時代も含めて、こんなに長い間会えないのは初めてという英司さん。
陶芸もドールハウスも、まだ手に着きません。新聞の投稿欄に、生まれて初めて投稿してみました。
「せっかく生きてきて、本人もまだやりたかったことがあるだろうから、その思いだけでも世の中に残ればいいな、と思ったんです」
先日、英司さんはサクラの写真を撮りに出かけてみました。
「頑張って、生きたいよ」――容子さんが交換日記の最後に書いた一行をかみしめる日々です。