■僕を赤ちゃんポストに入れてくれてよかった
赤ちゃんポストは慈恵病院の裏手にひっそりと設置されており、二重の扉が設けられている。外側の扉を開けると、「いつでも相談してほしい」との旨が記された親宛ての手紙が置かれており、内側の扉を開くと保育器や酸素吸入器が完備されている。そして、内側の扉は産婦人科のナースステーションにあるアラームに繋がっているため、子どもを素早く保護できる。
そんな赤ちゃんポストには新生児が預けられることが多いが、実は6歳以下の幼児も一定数いる。本書に登場する翼くんも、そのうちのひとりだ。
翼くんは現在、里親である田中さん夫妻のもとで我が子として大切にされているが、見知らぬ場所に置き去りにされたという記憶が頭の中から消えることはない。彼は自分が棄てられた瞬間の映像をルーズリーフに描き、勉強机の中にしまいこんでいる。翼くんにとって、実の親を知る手がかりは、一番残酷な記憶なのだ。
しかし、翼くんは赤ちゃんポスト自体を恨んではいない。
僕をポストに入れてくれなければ、お父さんとお母さんと会えなかったと思うし、この家で生活することもできなかった。道端に置き去りにするんじゃなくて、ポストに入れてくれてよかった。
そう語る翼くんは田中さん夫妻のもとで親子としての繋がりを感じながら、成長と共に自分の過去と少しずつ向き合い始めている。
赤ちゃんポストには否定的な声が寄せられることも少なくない。しかし、「赤ちゃんポストに入れてくれてよかった」と言える翼くんの幸せは、紛れもなく赤ちゃんポストがあったから得られたともいえるだろう。
■預けることで命を守る親も
赤ちゃんポストは、匿名で預けられることが問題視されている。匿名性があると困ったとき、安易に頼りやすいため、赤ちゃんポストに預けることが選択肢のひとつとして選ばれやすくなってしまう恐れがあるからだ。
だが、その一方で匿名だからこそ、救える命もあるのかもしれない。もちろん、授かった命は懸命に守り、育てていかなければならない。だが、安心して命を守れる環境でなかったり、命を育てていける力がなかったりした時に頼れる場所がなかったら、子どもは虐待やネグレクトのような、より悲惨な状況の中で生きていかなければならないこともあるのではないだろうか。
「こうのとりのゆりかご検証会議」が赤ちゃんポストを開設してから2年半後に公表したポスト利用の理由には、「子どもを戸籍に入れたくない」「不倫のため」という身勝手なものもあった。しかし、その一方で、生活が困窮したシングルマザーや望まぬ妊娠をした未成年がすがれる場所になっていることも判明した。中には出産後、体力が回復しない中、生まれたばかりの子どもを抱えてなんとかポストまで辿りつき、アラーム音を聞きつけてやってきた看護師と顔を合わせた途端に泣きだした母親もいたという。赤ちゃんポストは、“子どもの命を守りたい”という、産みの親の想いが隠された最後のとりででもあるのだ。
「子どもを育てられないのであれば、行政の相談窓口を訪ねてほしい」赤ちゃんポストの運用が始まったとき、国はそう語った。たしかに赤ちゃんポストは、思いがけず妊娠してしまった女性の自宅での孤立出産を助長してしまうこともあるかもしれない。だが、もしも赤ちゃんポストがなくなったら、大人の都合で棄てられる子どもの命は誰がどう救っていくのだろうか。
「不倫相手に赤ちゃんポストを勧められた」「夫に出産を拒否された」「妊娠後に交際相手が行方不明になった」「避妊を拒否された」こうした、赤ちゃんポストを利用するに至った問題は個人で解決するには限界がある。赤ちゃんポストは命を保護するだけでなく、親に親であることを自覚させる役目も兼ねているからこそ、子どもの命を本当に守るには、我が子を棄てる親に非難の目を向けるのではなく、その背景にある問題を相談できる場所を全国的に設けていくことが大切なのではないだろうか。
赤ちゃんポストがなくても子どもが死なない社会を作るにはまず、大人たちがどうやってひとつの命と向き合っていくのか考えていく必要があるのだ。